私の義理姉さんは、フィリピン人💓

あんにょ~ん👩

 

 

タイトルにあるように、

7歳年上の義理姉さんは、フィリピン人です✨

 

 

主人のお兄さんの奥さんです😊

 

 

つい先程まで、一緒に居ました😁(18時すぎ頃まで)

 

 

義理兄夫婦と大学1年の息子が遊びに来てくれて、

(3人の息子がいまして、1人は社会人ですでに一人立ち、末っ子は高3で美大に進学内定)

 

 

私は義理姉さんと久しぶりの再会のため近況話に盛り上がり、

 

 

義理兄さんと主人も兄弟仲良くて、ずっと話してました。

 

 

我が子供2人と大学生は一緒にゲームや将棋、

そして最後に

大学生(元塾講師)に中学数学を教えてもらってました😆

 

 

リビングでくつろいでいて、そろそろ夕食を一緒に〜と思っていたところ、

 

 

義理姉さんのスマホが鳴ったんです✆

 

 

 

大阪の警察から呼び出し☎

 

 

逮捕〜!なんてことはないですよ🫡

 

 

義理姉さん、タガログ語から日本語への通訳の仕事をしてるんです👌

 

 

各都道府県警察の試験に合格し、個人契約を結んでいるそう。

 

 

私が知っているのは、

大阪、兵庫県、四国地方のどこかの警察と結んでいて、

 

 

中でも大阪とは24時間体制で待機状態、いつ呼び出されても即出勤しないといけない💦

 

 

なので先程、大阪の警察署から電話がなって5分以内には駅に向かってました!

 

 

過去に、一緒に鳥羽旅行していた時も大阪警察署から呼び出しがあって、すぐに帰宅されましたし。

 

 

奈良の義理実家に泊まってたときは深夜2時頃呼び出され、

義理姉さんは運転ができないため

「電車の始発の時間までは向かえない」と伝えたら、

大阪からパトカーで迎えに来てくれたとさ😅

 

 

何とVIP待遇!

 

 

それだけ、タガログ語の通訳する人があまり居なくて重宝されているということ。

 

 

今回の仕事は時給に換算して、

1時間8000円🫶

 

 

四国警察署から呼び出されたら4日間ほどのステイになって、

給料がたったの4日間で20万から30万🫶

 

 

すごい世界だ✨

 

 

義理姉さんの過去…

 

 

フィリピンは貧富の差がある国。(日本と比べると)

 

 

義理姉さんは比較的裕福なご家庭に生まれ、

 

 

家事や子供のお世話は家政婦がしてくれてたとか。

 

 

そして、10代後半から日本に来ていたそうです✨

 

 

いろいろあって

 

 

 

私が21歳に今の主人と出会った頃

 

 

すでに姉さんは義理実家でホームステイしている状態でした😘(当時は私にとっては彼氏の家であり、ゆくゆく結婚して義理実家となるのですが。)

 

 

それから数年が経ち、義理兄さんと義理姉さんはご結婚されました。💒

 

 

フィリピンと日本との両方で披露宴をされたとか。

 

 

私はその時はまだ主人とは「彼氏と彼女」の関係だったので式には出てませんが、

 

 

写真をたくさん見せて頂き、

 

 

たくさんお話も聞かせてもらい、

 

 

異世界に飛び込んだような気になったものでした。

 

 

だって、義理姉さんは9人兄弟の末っ子なんだとさ。

 

 

兄弟が9人!!!!!😲

 

 

それだけでも顎が外れそうになりました(笑)

 

 

一番上のお兄さんとは20歳くらい離れてるので、

 

 

ご両親はすでに80歳近かったと思います。

(今は他界されてます)

 

 

御兄弟は全員結婚されてて、

 

 

オーストラリアやアメリカにとあちこちにいらっしゃる😲

 

 

もーどんな話も、驚きの連続でした🥹

 

 

そして~、ご結婚されたあと、

晴れて夫婦となり、日本での生活が始まります☺️

 

 

それはそれは山あり谷ありの

 

 

💝国際結婚💝

 

 

価値観の違いで大喧嘩勃発💦

 

 

まず、義理姉さんが怒り狂っていたのは、

「日本人の男は全然家事しないのね!😠💢」

 

義理の兄さんは特に何もしないらしいからな〜💦

 

 

それでもすぐに仲直りして、

 

 

子供が産まれます。👶

 

 

義理姉さんは、主人になにも期待せず、

 

フィリピンから姪っ子を呼びました。

 

子守のため🥹

 

姪っ子は確か17歳くらいだったかなぁ。

 

その子、日本語は挨拶しか知らなかった。

 

日中はずっと姪っ子に子守を任せ、

 

義理姉さんは自宅で幼稚園児や小学生向けに英語教室を開きました。

 

それが大繁盛!

 

自宅では場所が足りなくなって徒歩圏内に部屋を借りて教室を運営することになりました。

 

それから、7年ほどの年月が過ぎ、

 

ついにフィリピンに日本語学校を設立することに決めたんです!

 

その時3人目が産まれ2歳になった頃、

 

 

8歳、3歳、2歳の③人の子供を連れてフィリピンに帰りました。

 

2ヶ月ほど。

 

そして、ある程度のめどが立ち、

 

 

なぜか2歳の末っ子だけをフィリピンに残して上の子2人を連れて日本に帰ってきました。

 

 

「フィリピンは最高だよ〜!みんなが、子育てしてくれるから私はとっても楽だった〜✨」と。

 

 

つまり一番手がかかる末っ子をフィリピンの家政婦に預けてきたんだね^^;💦

 

 

そういう流れ、日本人には理解しがたいなぁ〜

 

 

そしてその数ヶ月後、日本の親戚や家族が、

 

 

早く末っ子を迎えに行きなさい!と囃し立てるので、

 

 

仕方なく?フィリピンに迎えに行きました(笑)

 

 

連れて帰ってきて、日本の保育園に入れたのですが…

 

 

末っ子2歳(もーすぐ3歳)、

 

 

3ヶ月もフィリピンに放ったらかし?いえいえ、フィリピンの親族にたいそう可愛がられてて、

フィリピン語や英語でたくさん話しかけられてたから、

 

 

日本語全部忘れてた〜😱😱😱

 

だいたい半年くらいフィリピンに滞在していた、末っ子。

 

日本語が通じない幼児が保育園にいるって事で当時は先生たちの間で大問題になっていたらしいです。

 

子供が話すネイティブ英語を誰一人として理解できない日本人の大人たちにも問題ありなのかもしれないが…💦

 

そして、フィリピンと日本に行ったり来たりする幼児期を過ごしていた子供③人、

当時はネイティブレベルの英語を流暢に話していたのに、

 

 

今は全員英語嫌い!(笑)

社会人、大学1年、高3

 

 

日本って英語が当たり前の環境が少ないから、

 

 

両親の片方が英語話せても

 

 

子供は英語嫌いにもなるんだね!という…💦

 

 

 

今は、英語教室を縮小して、

 

 

通訳の仕事をメインに奮闘されています!

 

 

 

という、

とっても勇敢な義理姉さんのお話でした✌️☺️

 

 

 

フィリピンのセブ島へいつか行ってみたいなぁと目論んでいる、ちょあ👩からお送りしました✨