あんにょ~ん👩
建国記念の日
大好きなおばあちゃんが、眠るように虹の向こうへ旅立った。
17年前に亡くなったおじいちゃんを追って逝っちゃった。
30年前に亡くなった大好きだった愛犬(享年17歳)にも会えたかなぁ?
🌈𓃡
数え歳で104歳
大正9年生まれ
料理が上手だった。
和食、中華、ケーキもクッキーもなんでも作ってくれた。
裁縫、絵も本当に上手だった。
ワンピースたくさん作ってくれた!
多才で多趣味。
60過ぎてから多くの賞を受賞していた。
若い頃にできなかったことを
めいいっぱいやり遂げたおばあちゃんは、
生き生きと輝いていた。
私、おばあちゃんっ子だったから〜
母は当時では珍しくフルタイム勤務(小学校先生)で
毎晩20時半帰宅😗
父は大学教授で23時帰宅😗
だけどお家には
おじいちゃんとおばあちゃんが居てくれたから心は安定してた。たぶん
たけど、ホントはもう一つ家があったんだ。
そっちがおじいちゃんとおばあちゃんにとっては、本当のお家。
火曜日から木曜日は私達の家に住んでいて、金曜日から月曜日は本当のお家に帰っていった。
つまり月曜日と金曜日は鍵っ子だった。
誰もいないってわかってる…。さみしい家にトボトボと帰った。
当時は学童なんでなかったし…
そもそもフルタイムで働いてるお母さんは近所ではいなかった…。
だからいつでもお母さんが待っててくれるお家が羨ましかったな。
そしてたまに鍵を忘れて登校していたので、玄関先で鍵がないことに気がついたときは絶望的だった…😰
4つ年上の兄は中学生だったので帰宅は17時半くらい。
14時半くらいに帰ってそのまま友達の家に行ける日はまだ良かったが、
1人玄関先に腰を下ろして数時間待つこともあった。
雪の日なんかは寒すぎてメソメソ泣いてたこともあったし、
晴れの日は庭でアリの行列を眺めていた。(病んでるな😱)
教科書を読んで過ごすこともあった。
ある時、
家の裏の屏から倉庫の天井に這い上がって、家の屋根に登れることを知った。
その時は落ちたら怪我するかも?なんて考えもしなかった。
登った先には、お兄ちゃんの部屋へつながる窓🪟
たいてい鍵が空いていたことを知っていたので、
もしや?家の中に入れるかも?
という好奇心に駆られて無我夢中で倉庫から屋根へと登っていた。
無事に中へ入れたときは感激感動!
奇跡の大発見だったので、嬉しさのあまりお兄ちゃんが帰宅するなりすぐ報告した!
「ここの窓は絶対に鍵閉めたらあかんで」と。
そしておばあちゃんにも興奮して喋っていた。
おばあちゃんに怒られた記憶はほぼない。
いつもどんな話もニコニコと聞いてくれていた。
後で大人になってから親戚の人から聞いた話だけど、
おじいちゃんとおばあちゃんが週の半分留守にしていたのは、週末に私達家族4人で過ごせるよう、との配慮だったらしい。
そしてフルタイムで仕事していた母より自分に孫が懐きすぎるのは良くないと…。遠慮していたんだろうと。
おじいちゃんとおばあちゃんの優しさからだったのだ。
それでもやっぱり私は母よりいつも長い時間一緒にいたおばあちゃんとのほうがなんでも相談できたし、気楽に話せた。
お母さんとは面と向かって本音を話せず、家の中で文通してたけど?🥺
母自身も、家庭と仕事の板挟みで悩んでいたんだろう。
今なら理解できる。
でも当時はやっぱり寂しかった。
保育園の送迎からご飯の支度も、ほとんどの世話をしてくれたおばあちゃんとは、なんでも話せた気がする。
小学校から帰ってすぐおやつを食べながら学校であった1日を1時間も2時間も喋っていた✌️🥹
小学校に持っていく雑巾を縫ってくれたのもおばあちゃん、
しもやけで腫れた手をさすってくれたのもおばあちゃん、
反抗期にも向き合ってくれたのはおばあちゃんだったし、
初めての化粧を見られたのもおばあちゃん、
彼氏を初めて紹介したのもおばあちゃん。
いろんなことが走馬灯のように駆け巡る!
おばあちゃんが80過ぎたころから認知症の症状が出てきた。
物忘れがひどくなり
徐々に新しい記憶から失われていった。。
おじいちゃんはそんなおばあちゃんのことをいつも心配していた。
大丈夫だよ!安心してお空から見守っててね。
90歳頃には
おばあちゃん何歳になった?って聞いたら
『んーー、20歳くらいかね?』
そうか…とうとうおじいちゃんのことも忘れちゃったんだね。
それでも昔の記憶は鮮明だったから、
よく昔の苦労話を聞かせてくれるようになったな。
『京城って言ってね、今の朝鮮にある女学校に通ってたんだよ』
これがお決まりの始まり。
これが楽しみで、
仕事で忙しくなってからもおばあちゃんと向き合って何時間も話した。
92歳くらいだったかな…95歳くらいだったかな…
毎回のように
「おばあちゃん〜♫来たよ!」
この頃、デイサービスを利用するようになったおばあちゃんと会えるのは2、3ヶ月に一度。
笑顔たけど半分驚いているような…
目をまんまるとしてこっちを見ているおばあちゃんがいた。
いつもと反応が違う…?
一瞬の間の後おばあちゃんの口から出てきた一言…
『あんた誰だったかね?』
…
あの瞬間、
あの風景、
今でも鮮明に覚えている…
ショックだった…
でも、
とうとう来たか…って感じ。
そして、
その後すぐのもう一言。
『いつも世話してくれる人、どこ行ったかね〜?』
😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭
私のお母さんのことだよ。
おばあちゃんの息子の嫁。
三世代いつも一緒に住んでたんだから。
名前で呼んでたよね?
…
その晩、
おいおいと泣いた。。
お葬式を終えた今よりあの時、
あの時が1番泣いたし、悲しかった。
あれから、
あの日以来、
おばあちゃんと会う度に、
私「おばあちゃん!来たよ!」
おばあちゃん「こんにちは🧑🦳いつもお世話になってます。」
と、
他人行儀な挨拶から始まった。
私の話はいつもニコニコ聞いてくれた☺️
だけど…
私を見つめるおばあちゃんの目が違った…
大好きなおばあちゃんが…
もう、、、
そこにはいなかった…
そこにいたのは、
おばあちゃんの姿をした………
おばあちゃん???
本当にあの時のおばあちゃん???
そして、日を追うごとに
徐々に口数は少なくなっていった。。
コロナのときは3年ほど会えなかった。
おばあちゃんを守るため!と、自分に言い聞かせた。
そして、ついに、、
お迎えがきた…
不思議と、
おじいちゃん(夫)の妹と全く同じ日に旅立ったのだ!
おじいちゃんと妹とおばあちゃん。
すごく仲が良かった✨
おばあちゃんの妹はおばあちゃんのことを『ねえさん』と慕い、
『ねえさんの料理は世界一だ!』といつも言っていた。
5年前に旅立ったおじいちゃんの妹。
同じ日に、
建国記念の日に旅立つなんて奇遇過ぎる!
今頃仲良くおばあちゃんの手料理を食べてるかな〜
賑やかだな☘️
おばあちゃん、ありがとう✨
今まで本当にありがとう✨
おばあちゃんのひ孫もこんなに大きくなったんだよ!
おばあちゃんみたいにまだまだ人生楽しむからね✨
見守っててね✨