あんにょーん♫
ふと、自分に疑問を投げかけてみました。
理想のお母さんって?
子供にとっての理想のママの姿って?
これに答えはないんだろう…
けれど、大抵が
自分を育ててくれた親が一番の判断基準になってしまうんじゃないかな。
親の様に育てたいか、
それとも反面教師にしたいか。
うちの場合、
両方かな〜
親ってやっぱりすごい!って思うこともあれば、
反面教師にしたい部分もある。
一つ言うならば、
母親の仕事はの向き合い方には尊敬しか無い。
母は小学校の教師だったが、当時は
結婚したら寿退社が当たり前の時代。
結婚しても出産しても職場に居座り続けた母から聞いた話だが、
幾度となく嫌がらせのようなことを受けていたとか。
今であればパワハラと言われるものだ。
子供の熱のせいで職場に迷惑をかける度に煙たがられた。。
校長からは何度も遠回しに退職するように圧をかけられた。
当時は時短パートのようなのもないため、
平日毎日20時半までは帰ってこなかった。
そのため、うちは祖父母と同居だったので、
家で一人ぼっちだったわけではない。
しかし、母は職場で
『子供を放ったらかしにしてかわいそう』とか、そういう嫌味も言われてたらしい。
そういう大人社会の事情など知らない、小学生の私にとっては、
帰宅するなり大急ぎで食事→風呂→就寝と、あっという間に寝室へ消えてしまう母を理解できなかった。
もっと母と話したかった😥
だけど…たいてい急いでてイライラしてた母…💦
20時半頃帰ってきたと思えば、21時半には寝てたな…
そして私にも、
『🕘9時には寝なさい!』と。
母とゆっくりと話せるのは週末しかなかったが、
土曜の午前中は普通に学校があった時代。
午後からはスイミングとピアノの習い事、二本立てだった。
じゃあ日曜日なら話せた?
それがそうでもない。
日曜日は母は
学校のテストの採点を家に持って帰ってやっていたのだ。
私も時々丸付けのお手伝いをしたりして、
その時間が唯一の、母との会話の時間だった。
もちろん、その時間だけでは、
私の、
母と話したい!という欲求は満たされなかった。
だからか、
母とは家の中で文通をしていた。
私が母に伝えたかったこと、
自分の心の中に湧き出た苛立ちや、
悔しさを
全部手紙の中にぶちまけて書いた手紙を、
母が寝静まった後にそっと置いておくのだった。
そしてたいてい翌日には母からの返事の手紙が自分の勉強机の上に置いてあった。
私は待ち望んでたその手紙を
大急ぎで貪るように読んでいたのだった。
そして、読む度に毎回心が温かくなっていたように感じる✨
学校から帰れば鍵っ子で2時間〜3時間家で愛犬と一人で待つこともあった。
でもたいていは祖父母が居てくれてて、
夕食までの数時間ずっと私の話し相手になってくれてた。
私はおばあちゃん子だったんだなぁ~☺️
時々愛犬にずっと話しかけてたし😄
きっと祖父母や愛犬が居てくれなかったら、
愛情不足で
絶対にグレてたぞ!
(ばあちゃんと動物がいれば人間はまっすぐ育つ、とか言うよね?w)
父は無口な大学教授だった。
私が反抗期に突入した中1から中2の1年間は
父はサンフランシスコに転勤していて不在だった💦
不思議と、嫌だった思い出だけは心に強く残るみたいだ。
寂しかったな…
そう、
子供を産んでから親の気持ちもわかるようになった。
そして
自分が親になって反面教師にしたいと思ったことは、
子供に淋しい思いをさせたくない。
子供とはいっぱいいっぱい会話したい!ということ。
仕事もパートにして子供の下校時間には家にいよう!と決めた。
母が当時は職場でいっぱい悩んで葛藤して頑張ってたんだってこと、それを知ったのは私が大人になってからのことだ。
今なら理解できる!
そう、自分が親になったからだ。
結局、パートにしたって、
子育ても仕事も中途半端だなぁ〜って悩むこともあるんだけど…
この動画は泣けたなぁ
仕事も子育ても両方の両立って大変だ。
だってどっちもやるからには全力でやりたいから✨
そして最近は自分の趣味の時間も大切にしてる。
自分を取り巻く人たちとの繋がりも大切にしたい!
だって、母である私がハッピーで心に余裕がないと、
子供にも笑顔で話すことができないから。
子供だって母さんを気遣って生きてるんだ!(私がそうだったから)
ならば、母である私は100倍の力で会話したい!
今日も三語短文使っていっぱい会話しよう🫡
ついでに…赤ちゃんがいるご家庭、こんなんだよね^^;💦
仕事帰ってきた主人に
『今日はどうやった?』って聞かれた時、
まさにコレ!を言いたいのに上手く伝えられなかったな…🥲
今は懐かしく感じるな~。