韓国留学を回想する②

 

あんにょーん👩

 

コチラの続きです〜

 

韓国留学へ行くこととなったきっかけから~🫰

 

 

それは大学生時代に遡ります。

 

 

大学は、文学部英米文学科卒業

 

 

ヘミングウェイ、ディケンズの名作を読み漁ってました。

 

 

卒業論文は英語。

 

 

もともと読者好きだったので文学書を読むきっかけとなった学科としては良かったけど…

 

 

だけど…

一つ違ったな、と思うのは

 

 

会話をする講義がほぼ無い。。。

 

 

そらそうかぁ…^^;💦

 

 

会話したいなら外国語大学に行けばよかったのかぁw

 

 

4回生になった時に

 

 

学校案内で2、3週間の海外留学の案内があった!

 

 

コレだ!

(もっと早く1回生から案内があったかもしれないが、どうだったか…^^;💦)

 

 

半ば行く気になっていたのに………

 

 

なんとその時期に就職の2次面接に合格。

 

 

3次面接の日程と留学が被っていた〜😱😱😱

 

 

悩んだ末…、やっぱり面接を優先。

 

 

留学を断念した😰

 

 

でも、やっぱり

ずっと心残りだったんだなぁ

 

 

あのとき行ってたら、今後の人生設計も変わってたかな〜って。

 

 

結局、、3次面接は不合格だった…💦

 

 

 

まぁ、

前置きが長くなったけど、

 

 

ここから韓国留学へのキッカケにつながるんだ👍

 

 

私の中では、

海外で未知の世界に飛び込みたい!って気持ちがずっと心の中にあったんだ!

 

 

簡単に言えば海外の人とお友達になりたかっただけ。

 

 

そんなに大きな事でもない。

 

 

たぶん子供の頃、親の後ろばっかり付きまとってた海外旅行が多かったせいかもしれない。

 

 

自分が希望して行った旅行は一度もない。

日本でも海外でも。

 

 

そして以前にも書いたことがあるが、両親は教師であり『アレしなさい、コレしなさい』といろんなことを管理され、『アレだめ、コレだめ』っていう制限も普通家庭よりも多かった気がする。

 

 

例えば、

習い事は全て親が決めた。

自分が習いたかったことは勉強に関係ないから却下された。新体操とかね…

 

 

幼少期はお下がりばっかりの服、

小学生時代も服はほぼ買ってもらえず、おばあちゃんが作ってくれた。(それはそれで嬉しかったけど)

 

 

近所の友達がみんなもってたものを家だけ買ってもらえなかった。(みんなおなじやつで遊んでる時、暇だったさ)

 

外食も1年に一回だけ。中華料理。

 

教師だから厳しかったっていう理由にはならないが…

 

 

中学の夏服は買ってもらえなかった😥(冬のスカートは分厚いし透けないから友達にも不憫な目で見られてたよ…)

 

 

海外の土産物屋でたかが300円程度のおやつさえ、そんなん必要無い!って断固として拒否された🥲

 

 

海外旅行に毎年行ってた時期もあったからお金には困ってなかったはずなのに、

 

 

うちはめちゃくちゃ貧乏なのかなぁと思ってたよ💦

 

 

それは母がめちゃくちゃケチな生活を取り入れてて、貯金魔だったからだ😅

(定年後に一括で一軒家買ってた時、

ェー!ってなった💦)

 

 

そんなこんなで、親には管理されまくってた。

 

 

だからか、一人で誰にも管理されないところに行きたかったんだ。

 

 

そしてお友達になりたいのは、別に英語圏にこだわってたわけじゃなかった。

 

 

海外ならたぶんどこでもよかった。

 

 

27歳くらいからに、

急にハングル読めるようになりたいなって興味もって、

 

NHK韓国語講座を観てみたらどんどんハマっていった✌️

 

 

ハングル読めたら、あの暗号みたいなやつがちゃんとした文字に見えるんだもん!

 

 

面白いんだよ😆✨✨

 

 

そんなわけで、再び留学したい気持ちがフツフツと湧いてきたわけさ🫡

 

 

その頃、京都市内で一人暮らしをしていた。

 

 

当時は、

韓国語習いたいって思ってもEccくらいしか近場にはなかったんだ。

 

 

オンラインレッスンなんてとんでもなく高かったからね。。ムリ(⁠ʘ⁠ᗩ⁠ʘ⁠’⁠)

 

 

韓国語を独学で始めてハングル読めるようになってから、

仲間が欲しくなった。

 

 

そしてEccの門を叩くこととなった〜

 

 

留学まであと1年…